AIエンジニアの探求

計算論的神経科学で博士号取得後、AIエンジニアとして活動中。LLMの活用や脳とAIの関係などについて記事を書きます。

主観的経験の統合=システムの情報論的統合?

統合情報理論(=IIT)について若干違和感を抱いていたことがあったのでちょっと整理してみました。

IITの公理

IITは意識について5つの「公理」(=意識が満たしているべき条件)を用意して、それが実現されるために系(とその状態)に課される条件を情報理論的に定めた理論で、客観的かつ定量的に意識を取り扱えること、それを支持する実験結果も出てきていることから近年有望視されている。

 

5つの内中心をなす(と思われる)ものは「情報」と「統合」で、それぞれ次のように言い表される。

  1. 情報:意識を持つ系は情報を生み出さなければならない
  2. 統合:その情報は統合されていなければならない

そして大雑把にいえば「統合」の公理は「系を分割した時にどれぐらい情報量が減るか」で定式化されている。

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(Oizumi, M., Amari, S., Yanagawa, T., Fujii, N., Tsuchiya, N., Campus, C., & Agency, T. (n.d.). Measuring integrated information from the decoding perspective.より引用)

 

これは脳のような複雑なシステムが持っている「全体は部分の総和を超える」の定式化にもなっていてreasonableだと思う。

違和感を覚えたのは、この公理を仮定するときの説明だ。

 

主観的経験は統合されている

この公理の導入部分を一部引用すると、

when you consciously "see" a certain image, that image is experienced as an integrated whole and cannot be subdivided into component images that are experienced independently. For example, no matter how hard you try, for example, you cannot experience colors independent of shapes, or the left half of the visual field of view independently of the right half.

–––––Tononi, G. (2004). An information integration theory of consciousness. BMC Neuroscience, 5, 1–22. https://doi.org/10.1186/1471-2202-5-42

ここでは視覚経験を対象にして「物の色と形を分離して経験することはできない」「視野の右半分と左半分を独立に経験することはできない」と例を挙げている。

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(Tononi, G., & Koch, C. (2015). Consciousness : here , there and everywhere ? より引用)

 

これは完全に同意するけど、じゃあ経験が統合されていることとシステムが物理的あるいは情報論的に統合されていることはイコールなのか?っていうのが分からなくなってしまった。

この2つはハードウェアとソフトウェアみたいな別のレイヤーの話じゃないのか?
システムが上の意味で統合されていなくても経験が分離できないようにすることも可能なんじゃないか?

でも著者が言うように分離脳患者(右脳と左脳をつなぐ脳梁を切断した患者)の視野は実際分断されているし、「主観的経験と物理的状態は1対1対応している」という仮定を置けばこの2つが等価な命題になり得る気もする。

じゃあ主観的経験と物理的状態が1対1対応しているとして、今度は統合の意味が違う気もしてくる。この2つが等価と言うためには、意識=情報と言う仮定をおく必要があるんじゃないか?

とまあ色々考えると泥沼にはまっていくし、ちゃんと納得するためには哲学的な知識が必要になるのかもしれない。

 

ここら辺で結論っぽいことを言っておくと、こういう微妙な議論は表に出さないで

「これを公理とします。ここから導けるものを私たちは扱います。これが正しいか正しくないかは実験で確かめましょう」

と宣言する力強さが統合情報理論の強みなのかもしれない。あくまで妄想だけれども。