哲学的ゾンビの現代的解釈
ジュリオ・トノーニとクリストフ・コッホの共著論文「Consciousness : here , there and everywhere ?*1」の中にかなり面白い話があった。
著者は2人とも意識の研究で有名な神経科学者で、特にトノーニの「意識の統合情報理論」は意識を科学で扱う上でかなり有望だと言われている理論だ。この論文も大部分は統合情報理論について書かれている。
統合情報理論流の「情報」と深く結びついているのは「因果関係」という概念である。系において現在の状態を一つ指定した時、それによって過去と未来の状態が(多様な状態の中から)どれだけ決定されているか、つまり因果的にどれぐらい影響を及ぼし合っているか、が系がどれだけ情報を持っているかを表している。
さて、ここでフィードフォワードネットワークを考えると、因果関係は一方向にしか進まないので統合情報量Φは0となる。再帰的結合がないと意識を持つ資格を持たないということだ。
面白いのはここからで、任意の再帰的ネットワークの入出力と全く等しいフィードフォワードネットワークを構成することができる。
つまり、外から見た時の振る舞いは全く同じだ。
でも、このシステムは意識をもたない。
デイヴィッド・チャーマーズは「人間と全く同じように振る舞い、外からは全く区別がつかないが意識を一切持たない存在」を仮定して哲学的ゾンビと名付けたが、これはそれの一例になっている。
もっとも、チャーマーズは「内部で起こる物理的過程も完全に人間と同じで、ただ意識だけがない存在」を仮定することで「意識のハードプロブレム」を提唱していたわけで、統合情報理論は物理的過程と心的状態が一対一に対応することを暗黙のうちに仮定しているためそのような問題は発生しない。
上の例で言えば、システム内部の振る舞いを観測できれば「意識がない」ことを看破できるからだ。
統合情報理論はその出発点からしてハードプロブレムを回避するように作られている、ともいえる。