AIエンジニアの探求

計算論的神経科学で博士号取得後、AIエンジニアとして活動中。LLMの活用や脳とAIの関係などについて記事を書きます。

哲学的ゾンビの現代的解釈

ジュリオ・トノーニとクリストフ・コッホの共著論文「Consciousness : here , there and everywhere ?*1」の中にかなり面白い話があった。

 

著者は2人とも意識の研究で有名な神経科学者で、特にトノーニの「意識の統合情報理論」は意識を科学で扱う上でかなり有望だと言われている理論だ。この論文も大部分は統合情報理論について書かれている。

 

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

 

 

 

意識をめぐる冒険

意識をめぐる冒険

 

 統合情報理論流の「情報」と深く結びついているのは「因果関係」という概念である。系において現在の状態を一つ指定した時、それによって過去と未来の状態が(多様な状態の中から)どれだけ決定されているか、つまり因果的にどれぐらい影響を及ぼし合っているか、が系がどれだけ情報を持っているかを表している。

さて、ここでフィードフォワードネットワークを考えると、因果関係は一方向にしか進まないので統合情報量Φは0となる。再帰的結合がないと意識を持つ資格を持たないということだ。

 

面白いのはここからで、任意の再帰的ネットワークの入出力と全く等しいフィードフォワードネットワークを構成することができる。

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つまり、外から見た時の振る舞いは全く同じだ。

でも、このシステムは意識をもたない。

デイヴィッド・チャーマーズは「人間と全く同じように振る舞い、外からは全く区別がつかないが意識を一切持たない存在」を仮定して哲学的ゾンビと名付けたが、これはそれの一例になっている。

 

もっとも、チャーマーズは「内部で起こる物理的過程も完全に人間と同じで、ただ意識だけがない存在」を仮定することで「意識のハードプロブレム」を提唱していたわけで、統合情報理論は物理的過程と心的状態が一対一に対応することを暗黙のうちに仮定しているためそのような問題は発生しない。

上の例で言えば、システム内部の振る舞いを観測できれば「意識がない」ことを看破できるからだ。

 

統合情報理論はその出発点からしてハードプロブレムを回避するように作られている、ともいえる。

 

 

*1:

Tononi, G., & Koch, C. (2015). Consciousness : here , there and everywhere ?

「創発」は定量化できるか?

複雑系の理論でよく使われる言葉に「創発」がある。

 

あるシステム全体の挙動がそのシステムの構成要素個々の振る舞いの単純な総和としては理解できないような現象、という風に理解している。構成要素は単純な振る舞いしか示さないのに、全体としてはとても複雑で秩序立った構造が現れるような現象と言っても良いかもしれない。

 

そしてこの世界には「創発」が溢れかえっている。ライフゲームや蟻のコロニーから生命、脳、社会まで、いたるところでこの創発は起こっている。

 

普遍的に見られる性質のため、世界の理解のために重要であると考えられて研究が進められてきたけど、今までは個別の例にフォーカスしたものか、あるいは定性的な議論が主だった。

 

そこでタイトルに戻る。「何をもって創発が起こっていると言えるのか、そしてその程度は」という問いに対して情報理論的アプローチを試みて、そこから創発が起こるメカニズムまで議論しようという、野心的な研究がある。

Hoel, E. P., Albantakis, L., & Tononi, G. (2013).
Quantifying causal emergence shows that macro can beat micro.
Proceedings of the National Academy of Sciences, 110(49), 19790–19795. 

www.pnas.org

ちなみにIITで有名なTononiのグループによる研究だ。IITっぽさが随所に感じられて楽しい。

"Quantifying causal emergence" は創発定量化、そして"macro can beat micro"は次のような問題意識から来ている。

創発」と言っても、実際にはミクロとマクロで働いてる物理法則は同じなんだから、全てミクロな振る舞いから系全体の振る舞いは決定されているはず(マクロはミクロに”付随”している)。つまり原理的にはミクロが分かればマクロな現象は全て導けることになるけど、例えば経済の問題を考えるときに量子力学を使う人がいないように、現象を捉えるための適切な(マクロ)スケールが存在している。

ではなぜミクロに還元するよりもマクロに捉えた方が良いのか、そして自然現象を考えたときにそれがマクロなスケールで振舞っているように見えるのはなぜなのか、という問いが出てくる。

これに答えるために、著者たちは"Effective Information"という量を導入している。

これは、「系の現在の状態を一つ考えたとき(ある時間のスナップショットと思ってもらえれば)、その状態によって過去の状態と未来の状態がどれぐらい決定されるか」を考えて、それを取りうる状態全てに渡って総和を取ったものとしている。

ここには「情報とは、数ある可能性の中から一つを選び取る能力」とする統合情報理論の考えが織り込まれている。

 

具体的な計算方法としては、(過去に対して考えると)現在(t_0)の状態s_0を指定したときの過去(t_-1)における条件付き確率分布p(S_P|s_0)と一様分布U(何も状態を指定しなかったときの確率分布に対応)とのKLダイバージェンスを考え、それの現在の状態の確率分布に関する期待値をとる。

{ \displaystyle EI(S) = \langle Cause Information(s_0) \rangle = \sum_{s_0 \in U^E}p(s_0)D_{KL}((S_P|s_0),U^C) }

この量は

  • どれだけノイズが少なく系の振る舞いが決定されているか
  • どれだけ状態遷移が縮退しておらず多様な状態を取りうるか
  • どれだけ取りうる状態の集合が大きいか

に依存している(下図参照)

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つまり、ミクロなスケールであれば取りうる状態の数は膨大になる分、ノイズが大きければいくつかの要素が取りうる状態をまとめて一つの状態とカウントした方が全体としてEffective Informationが大きくなるということが考えられる。簡単な例として下図に示すようなケースがある。

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 このEffective Informationを測ることで系の振る舞いを観察するときの適切なスケールが分かる(もちろん現実の系だと計算量が途方も無いことになるから実際には計算できないだろうけど…)。

 

そして自然、特に生物は生存のためにEffective Informationを高くすることが必要なため、マクロなスケールで複雑かつ秩序立った振る舞いが引き起こされる(=創発が起こる)のではないかと示唆している。

 

個人的な感想:進化計算や遺伝的アルゴリズムなどを用いて、(マクロスケールで見ても)単純な系から創発が起こってEIが大きくなっていく様子を観察できたら面白いだろうなあって思った(Origin of Lifeの問題にも通じる?)のと、ここではBottom up causationしか考えてないけど、マクロな振る舞いがミクロな振る舞いを制御する(ように見える)Top down causationのメカニズムをこの理論のもとで説明できたらかっこいいんじゃないだろうか。もちろん既にやってる可能性はあるけれど。

 

雑記2

今からするのはめちゃくちゃ妄想の話。

 

昔から自由意志が謎だと思ってた。素朴にデカルト的、心身二元論的な自由意志をなんとなく信じてたんだけど、明らかにそれは物理法則に反してる。

仮に物理的な相互作用から独立した「自由意志」があってそれが物質に影響を及ぼすことによって僕たちは手を動かせるとしたら、それはもう魔法とかサイコキネシスと一緒なんじゃないかって、そう思っていたしなんなら実は人は自由意志が及ぶ範囲では魔法が使えるんじゃないかってほんのちょっと期待もしてた。

 

でも成長するに連れてどうやらそういう描像は違うらしいってことが分かってきて(クリストフ・コッホの「意識をめぐる冒険」という本にそういう自由意志を巡る話題が載っていた)、まあがっかりもするわけだけど自由意志以外にも色々非自明な(ここではほとんど「神秘的な」と同じ意味で使っているけどもちろんオカルトの話をしたいわけではない)ことはあるからそれもそうだなあって納得してきた(雑記1はそういう気持ちで書いたもの)。

 

 

じゃあこう考えよう。世界は決定論的に振舞っていて、現在の時刻における世界中の物質の位置と速度と相互作用が分かれば未来永劫世界の様子は一意に定まる。もちろんこの仮定は現実世界に照らし合わせると完璧に間違ってるけどとりあえず置いておく。妄想だからなんでもありだ。

 

そして自由意志を「自分の意思でこの決定された未来を変えることができる能力」と定義してみる。これも突っ込みどころはたくさんあるけど、たぶん機械的決定論とかラプラスの悪魔とかに悩まされた人が欲しかったのはこの能力だと思うから気持ち的にはなしではなさそう。

 

ではラプラスの悪魔に登場してもらおう。この天才的な悪魔は現在の時刻におけるすべての物質の位置と速度と相互作用が分かってるから、「僕が8秒後に右手をあげる」ということを完璧に予言できる。そしてその未来は実現する。 僕が自分の意思で8秒後に右手をあげるって行動を選んだつもりになっても(あるいはその行動をとらなくても)、それは幻想で、本当は僕の脳内のいろいろな物質(と身体や環境と)の相互作用によって生まれた結果だから、この悪魔からは逃れられない。どうしたって完璧に予言されてしまう。

僕には未来を変える力なんてない。

 

じゃあ悪魔が口を滑らせてしまって、僕に「君は8秒後に右手をあげるよ、この予言は絶対だ」って言ったとしたら?

 

そしたら悪魔に勝つのは簡単で、単に8秒後も右手を膝の上に置いたままにすればいい。

もしかしたら情報があれば僕たちは未来を変えられるのかもしれない。

 

長々と書いたけど、ここで言いたいのは次の思いつきに尽きる。

情報理論をもとに自由意志を定式化できるのでは?あるいはそこまでいかなくても、情報理論によって自由意志の意味のある議論をするための枠組みを作れるのではないか?」

 

やっぱり僕は、自分たちが未来を作る能力を持つって可能性に賭けたいと思う。